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エモい考えをまとめるとこ。

自己の存在を規定するのは可能性ではなく不可能性であるというはなし。

はじめに

 ものの本によると、「自己の存在を規定するのは可能性ではなく不可能性である」らしい。

「可能性という言葉を無制限に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」 —四畳半神話大系森見登美彦

やってみないとわからない

  「自分は何に向いているんだろう」と聞かれても、ほとんどのことは「やってみないと何もわからねぇよ!」って思うことがよくある。例えば、僕は学生のころ研究が好きだった。昔から好奇心が旺盛で、なんでそうなるんだろうとか、そうなった理由を調べたり実験したりするのが好きだ。だから理系の大学に進学して、化学の研究職につくってことが自分に合っていることなんだとずっと思ってた。そのまま、研究職につくために大学院に進学する。だけれど、結局、半年もたたずに大学院はやめてしまう。そんでもって、いまはなぜかITエンジニアをやっている。一体、どうしてこうなった?

 そのときに思ったのは、その「職業」が自分に向いてるのかどうかなんてやってみないと何もわからないだろうってこと。自分自身にとって、本当に向いているのか向いていないのか、なんてことはやってみるまでわからなかった。やってみて、研究というものは自分にとっては苦悩と苦難の連続だった。結局、気持ちが折れてしまって大学院をやめた。

 ひとつはっきりしたのはいま、向いていないって思ったことは、向いていないってことだ。

 それがわかっただけでも、大収穫だ。振り返ってみると、自分は数々の運と縁の巡り合わせによって今の職業についている。今のITエンジニアになって、これが「自分にとって天職だ」と思えることって本当に運がいいなって思う。

 4年前の大学院を辞めてニートになった自分に、これから「スマホゲーつくる会社でITエンジニアとして働くよ」って言っても絶対信じないだろうしw

「幸せ」はある程度の運が左右する

 人は「幸せ」になりたいと願っている。もしかしたらそれが「ドーナツの穴」のような虚像であったとしても、自分自身はそうなりたいと願うことが、このくそくだらない世界を生きなければいけない理由だとさえ思う。

 最近思うのは「幸せ」のうち自分が関与できることなんて、とても数が少ないんじゃないかってこと。例えば、多くの人が幸せだなって思うことって何なんだろう?仕事が大きな成功を収めた時、大好きな人と結婚できた時、人間関係が良好で多くの人に支えられていると感じた時、年収が1000万円を超えたとき、趣味に没頭できるとき、自分がなりたい自分になったとき…?

 その「幸せ」の多くが、仕事や恋愛や年収、自己実現に起因するものだ。人と人との縁だったり、タイミングだったりするわけで、完全に自分ひとりの力だけで夢を叶えました!って人はそうそういないと思う。もちろん、自己の努力も大事だけれど、そこにプラスして「運」要素に多くの場合、左右されるんじゃないかな。

 「人の可能性は無限大で、正当な努力を続ければ、必ず実現できる」

だけど、冒頭の一文のように、不可能性こそが僕たちの可能性を規定するんじゃないだろうか。

不幸にならない努力

 例え話で、僕が仕事で「ITエンジニアとして年収1000万円以上稼ぐお金持ち」になりたいと言う目標があるとする。だけど、それにはある程度の”運”の要素も必要だ。”運”というものを定量化すると”確率”になる。つまり、定量化された「可能性」とその背反である「不可能性」がそれぞれ存在する。「可能性」が20%ある、それにならないけども、中間のそこそこ目標が達成される確率が60%くらい、それにまったく届かない「不可能性」が20%。もちろんこの数字は「運」によってある程度、左右される。

 「努力」が目標に向かうアプローチだとして、その「努力」をどこに向けるべきだろうか。「可能」を目指すより「不可能」にならない事の方が難しくないんじゃないだろうか。いやむしろ、先程の「やってみないとわからない」ってことと併せて考えると、「可能」「不可能」じゃなくて、結果的に、中間の「そこそこ」になったとしても、もしかしたらそれが自分にとっての幸せに変わりうる可能性もあるわけだし。

やりたくないことを決める

 人の可能性は無限大だ。だからこそ、人生において、「そうなりたくない自分」を決めることのほうが「なりたい自分」を決めることよりも大事じゃないか?「なりたい自分」というのは、逆説的に自分の可能性を自分で狭めてしまっていると捉えることもできるわけだし。

 こうなったら嫌だなをしっかり考えながら、目標を追う。そうすると、少なくとも目標に達成できない「不可能性」は低くなる。人生戦略において「可能性」を高めるよりも、「不可能性」を下げることのほうが重要じゃないか。

やりたくないことリスト

 ちなみに僕がやりたくないことをざっと考えてみた。自分なりの、今後の人生においてしなくていいこと、やりたくないことリストだ。これはあくまで「仕事編」で、考えれば「恋愛編」とか「人間関係編」とかも、あるかもしれない。

上にいくほど優先度が高い

  • 「お金、学び、経験」のどれにもつながらないこと
  • 人を不幸にすること
  • 誰のためにもならないこと
  • 人を尊重しないこと
  • 人を信頼しないこと
  • 人に謙虚さをもたないこと
  • 思考停止すること
  • 理にかなっていないこと
  • わくわくしないこと
  • 遊び心がないこと
  • 新しい考えを取り入れないこと
  • 自由がないこと
  • 非効率なこと
  • つかれること

あとは流れに身をまかせる

 人の心は変わるもので、今の自分が思っている幸せと明日の自分が思っている幸せはまったく違うものになることもある。その幸せになるための指針は、自分の「意志」と「決断」だ。それを持つことも大事だ。

 だけど、それと同時に何が起こるかわからないのも人生だったりする。どう転んでもいいように、「嫌なところに転ばない」戦略も必要なんじゃないかなーとお思った次第。

さいごに

 酔っ払った勢いで文章書いたらひでえな。